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米国で広がる「カジノとマリファナの合法化」、そしてその自由の代償

【ニューヨークタイムズレポート】
ニューヨークタイムズ
■ かつてのセックスの問題と同じことが起こっている
何が情念をかきたてて、新聞の大見出しとなるか。
それを考えれば、米国でおきる唯一の文化的議論がセックスと関係していると想像するのはたやすい。
われわれの内なる妄執にはそれなりの根拠がある。
欲情はアイデンティティーと絡み合い、セックスは人の未来をはらみ、家族は人生の最初の一歩を踏み出すところだ。
しかしアメリカの文化的景観の変化を理解するためには、時には広角レンズで見るような見方が役に立つ。
というのも、セックスと生殖についてわれわれの考え方が変わったのと同様のトレンドがいま、より広くに見られるからだ。

■ 急増するカジノ賭博とマリファナ使用
カジノ賭博とマリファナという2つの問題を考えてみよう。
同性婚についての議論の受け止め方が、かつてない速さで変化した。
同様に、カジノとマリファナについても、この30年の間にめざましい速さで社会の本流となってきた。

1990年では、カジノ賭博はネバダとアトランティックシティーに集中していた。
その後、アメリカ先住民居留区で賭博が興り、そして部族という「イチジクの葉」ぬきのカジノが出現した。
現在、商業カジノは23の州に増え、かつての「ラスベガス観光旅行」のようなカジノ詣は、日常的なエンターテイメントとなった。
ニューヨークカジノ

アメリカ価値研究所は、「米国北東部および中部大西洋岸諸州に住んでいる成人のほとんどが、いまや、カジノまでクルマでちょっとの距離の所に住んでいる」という報告書を今年発表した。
そして11月5日以降、カジノ通いはもっとたやすくなる。
ニューヨークの有権者たちが、州内にさらに最大7ヵ所のカジノを許可する憲法修正を批准すると見込まれているからだ。

マリファナ革命は、ワシントンとコロラドのみが完全合法化を試みているので、それほどは進展していないと言っていい。
しかし今後、それに続く同様の実験が見られることが予想される。
医療用のマリファナはすでに20の州で手に入る。
同時に、この問題に対する世論は、2002年の合法化支持の32%から、最新のギャロップ世論調査の58%へと、同性婚と同様に支持が急増している。

■ 弱者からカネを搾り取る仕組み
ギャンブルとマリファナが、多くのアメリカ人の支持を得た過程には、かなりの違いがある。
カジノの拡大は、税金の増収をねらう各州政府と、選挙資金を喜んで寄付するカジノ業界が推進してきた、「トップダウン型」だ。

一方、マリファナの許容は、いわば草の根的で、活動家やアーティストの推進によって転換されてきている。
つまり、終末期患者への共感の影響を受け、ドラッグとの闘いにうんざりした国民にせき立てられた結果なのだ。
しかし、これがどちらも可能になった要因は、アメリカ人の考え方に見られる同様の傾向によるものだ。
つまり、共存共栄志向の社会的リバタリアニズムの勃興、宗教的保守主義とリベラルなコミュニタリアニズムの影響の弱体化、そして公共政策の倫理主義に対する疑問の増大といった傾向だ。
そして形は違うが、どちらも、社会学者の故ロバート・ベラーが言うところの「表現的個人主義」に浸透された文化、そして個人の行動へのあらゆる制限に対するアレルギー反応を示す文化が抱える潜在的問題を現わしている。

これはカジノの場合はいっそう明白だ。
カジノが公益にもたらすものは、率直に言って破滅的だ。
アメリカ価値研究所が指摘するように、州政府とギャンブル利権の同盟の本質は搾取的で、カジノからの税収入は、長期的な社会福祉の犠牲のうえにもたらされる。
カジノが立地する地域の資産価値は減少し、人的つながりなどの社会関係資本は弱体化する。
地元の経済発展を促すというよりは、困窮するコミュニティーから金を絞り取る可能性が高く、無謀な人や嗜癖症の人にとって、カジノの存在は災厄となる。

■ 自由が搾取への道につながりかねない
多くのユーザーにとって、マリファナは本質的に無害であり、また非暴力犯の投獄を減らさなければならないという差し迫った問題の必要性を考えれば、マリファナ問題はもっと複雑である。
しかし多くの州がすでに実行しているように、マリファナ所持は罰しないが、おおやけの生産と流通(そしてもちろんのこと課税)にはいまだ慎重、という立場もある。

マリファナの合法化は、それによっていかなる利得がもたらされたとしても、この10年で激増したマリファナ使用を、さらに増やすことになるのは間違いない。
マリファナは、たまに吸ううだけの人には単なる気晴らしだとしても、常用すれば必ずしも無害というわけではない。

単親家庭で育つ悪影響と同じくらい、学業成績や経済的上昇が制約される可能性がある。
家庭崩壊とは性的抑圧からの解放に伴う代償であると考える人が、社会的リベラルやリバタリアンの中にいるのと同じように、おそらく、これらは自由と引き替えに支払うべき代価にすぎないのだろう。

しかし、格差を憂うリベラルならなおのこと、税収増に貪欲な州政府が人間の弱さにつけ込んで、巨大な利益をむさぼる民間部門と組むことで、自由が搾取への道を加速することがあると認識すべきだろう。

これまでの社会が、自由と認可の間にわれわれが忌み嫌う区別の一線を引いた理由の1つは、まさにそこにある。
経済的に困っていない人には害のない快楽に見えることも、貧しい者や弱者を打ちのめしかねないのだ。

こうも言える。
ローマ帝国の「パンとサーカス」同様、マリファナとカジノによって簡単に、人の心をそらし、感覚を鈍らせて、たやすく支配することもできるのだ。
パンとサーカス
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